長門文化大革命:書き手・毛利太郎:長門市三隅中村・津雲物語。

 

作品名:長門文化大革命

 

 

 

 

 

制作・著作:毛利太郎

 

 

 

 

 

 

長門市三隅という、土地について・・・!!

 

この辺りで、学問を、学ぶには、萩がいい!!

 

と、最近まで、思っていたが・・・!!

 

なぜならば、病室から見える、三隅中村と、津雲あたりは、どこを、見回しても、水田だらけ・・・!!

 

それから、見れば、あの、小さな街・萩は、大都会だ・・・!!

 

おれ、毛利太郎は、ふと、考えた・・・!!

 

病室から見える、水田を、埋め立てて、住宅地にすれば、よっぽどのこと、長門市には、固定資産税などの、税金が、ガッポリと、入ることだろう・・・!!

 

しかし、それは、長門市三隅中村や、津雲では、ありえないわけだから・・・!!

 

ところが、それが、彼らが、高校生になり、萩方面の、高校に、進学すれば・・・・?!

 

萩・三角州内には、びっしりと、家が、並んでいるのだから・・・・!!

 

だから、萩が、お金持ちなのは、当たり前だ・・・!!

 

それに、萩には、貴重な、文化財だって、山口県下ナンバーワンであるから・・・!!

 

文化に関わる、財産が、山口県で、一番だから、萩は、やはり、お金持ちだ・・・!!

 

ただし、その、街を、キープすること、文化財を、守るこことには、これまた、お金が、かかることだ・・・!!

 

金は、天下の回りもの・・・!!

 

最近の、萩市は、しかし、停滞が、あるいは、衰退化が、進んでいるが・・・!!

 

もしや、そこには、男と、女についての、基本的なこと・・・!!

 

例えて言えば・・・・?!

 

周防・長門の、中心地は、萩でした・・・!!

 

そこには、萩にしか、いなかった、身分の方が、萩が、藩政時代の、中心地だったことには、いた・・・!!

 

それは、農民でもなし、漁民でもなし、職人でもなし、商人でもなし・・・!!

 

武士でした、お侍さんでした・・・!!

 

お侍さんの、仕事といえば、体を、鍛えることも、仕事でした・・・!!

 

おれは、時々のこと、思うこことがある・・・!!

 

あの、小さな街、萩では、その昔は、萩を、守るために、お侍さんたちが、命をかけて、血を流してまでも、守るべきものが、萩でしたから・・・!!

 

もしかしたら、そこで、ここで、藩政時代には、武士の、誰かの、血が、流れた跡がある、そんな、地があったかもしれないぞ・・・!!

 

加えて、当時の、お侍さんは、学業から、精神の修養として、徳を、高く積み上げることまでも、やるべき人々だったから・・・!!

 

萩の、最高トップは、毛利家の、殿様であり、以下、家臣と呼ばれる、部下たちでしたから・・・!!

 

歴史作家の、司馬遼太郎先生によれば、明治4年で、武士が、廃業になったというが・・・!!

 

それでも、その、心というものは、萩には、あってもよいだろうに・・・!!

 

また、明治4年で、武士が、廃業したといえども、その、精神性を、守る姿勢は、今の、萩市民には、なければ、萩は、ダメになるとも、思うが・・・!!

 

ここで、我が、萩高等学校時代の、体育教師で、大津高校から、来ておられた、松本弘道教諭の、言葉が、おれには、今でも、忘れられないが・・・!!

 

「貴様ら、暇があれば、体を、鍛えんか!!」

 

これは、スポーツをして、体を、鍛えないか?!という、意味では、ないように、思うが・・・!!

 

なんとならば、スポーツが、大嫌いの、おれは、58才に、なって、職業は、ブログ作家であるが、仕事の、合間、合間には、アームバーを、折り曲げては、体を、鍛えているのだから・・・!!

 

お決まりでもあるが・・・!!

 

明治の、大文豪、夏目漱石先生も、弟子には、「抱きしめたいばかりの、弟子たち!!」という言葉や、「男を鍛える!!」という、言葉を、残しておられるから・・・・!!

 

そのような、感性の、人間が、かの、明治の大文豪の、夏目漱石先生だったようである・・・!!

 

おれ、毛利太郎には、松本弘道教諭の、言葉の意味も、夏目漱石先生の、言葉の意味も、よくよく、わかるのである・・・!!

 

今の、萩の、停滞と、衰退化は、萩市立明倫小学校であった、心で、「百万一心」という、素晴らしい、萩の、人々の、精神性も、どこかへと、行ってしまったようでもあるが・・・!!

 

萩市立明倫小学校の、校区は、萩・三角州、全てであり、そこに、集まる、児童・生徒たちは、士・農・工・商の、萩城下町を、構成していた、すべての、世帯の、子どもたちが、通う、萩の、心臓部に、あたる、最重要校であろうか・・・?!

 

それから、考えて見えば、長門市三隅の、中村や、津雲あたりは、昔っから、農家であり、千年、二千年前からの、平和で、平和な、農家だったのかもしれないが・・・!!

 

おれ、思ったが・・・!!

 

その昔、萩市には、萩高等学校と、萩商業高校と、萩工業高校と、萩光塩学院が、あったことのこと・・・!!

 

萩という街は、この、山口県北部では、学園都市では、なかっただろうか・・・?!とも・・・!!

 

それが、今では、生徒数の、激減により、寂れ果てた・・・!!

 

萩の、エネルギー源といえば、これは、周辺部から、集まってくる、若者たちにより、支えられていたからの、活気が、萩の街を、支えていたのではないだろうか・・・?!

 

萩という街は、若者の、若さを、求める街だった・・・!!

 

若者も、それを、感じてでの、萩へ、萩へ、萩へ、という、集中化だったと思うが・・・!!

 

若者が、そっぽを向いた、萩は、死んでしまうのか・・・?!

 

周辺の、市町村からの、萩への、集まる、魅力とは、一体何だったのか・・・?!

 

合併前の、萩市の、面積は、138平方キロであり、人口は、およそ、5万3千人だったが・・・・!!

 

萩市の、シンボルの山は、指月山(143メートル)、田床山(373メートル)、笠山(112メートル)、これが、大和三山ではなくて、萩の、三山だと、おれは、考えたことがあるが・・・!!

 

萩は、男が、中心の、町だと思う・・・!!

 

それは、例えば、萩の、トップの、毛利家の、殿様が、もしや、女であれば、萩は、歴史の町ではなかった・・・!!

 

萩の、毛利家の、殿様は、どう考えても、男である・・・!!

 

それが、まずは、確立されてこそ、萩の、未来なり、将来の、明るいビジョンが、やっとこさ、見え始めるのである・・・!!

 

文学は、女もできるが、男もできる、学問だ・・・!!

 

文学は、総合学問だとも、思う・・・!!

 

おれは、一生涯、学問ができて、幸せ者である・・・!!

 

 

 

 

 

 

おれ、毛利太郎!!

 

萩生まれ、萩育ち!!

 

勉強大好き、スポーツ大嫌い!!

 

 

 

 

 

制作・著作:毛利太郎

 

 

 

 

 

関東学院大学文学部英米文学科卒業

萩高等学校普通科理科系卒業

萩第一中学校・萩市立明倫小学校

土原保育園(卒園してません)

 

 

 

 

 

 

まだ、まだ、つづく。